Vu Thi Thanh Hugen ヴ・ティ・タン・フェン(千葉県)

フェンさんの故郷は、ベトナム南部のドンナイ省タン・フー県である。同省はベトナム随一の巨大都市ホー・チ・ミン市に近く、日本、中国、韓国など海外資本による投資が盛んで、現在、二十以上の工業団地が操業している。そんな有数の“産業省”の東北部に位置するタン・フー県生まれのフェンさんは、ボートピープルとして日本に渡った兄が伝えた様々な情報に接して「日本」に興味を持つようになった。
ボートピープルとは、1975年のベトナム戦争終結後に全土統一を果たした北ベトナム(ベトナム民主共和国)の体制に反発し脱出を図った数多くの人たちの総称。難民として各国が受け入れたが、日本は、外務省資料によるとラオス、カンボジアからも含め、1978~2005年までに11,319人を受け入れた。アメリカの82万人、オーストラリアやカナダの13万7、000人に比べればわずかだが、日本にとって戦後初の本格的難民受け入れであったことは間違いない。
そんな難民の一人だったフェンさんの兄が伝えた「日本事情」に触発され、フェンさんは国内の大学で日本語を学び、さらには「もっと学ぼう」と2003年に来日し日本語学校に通った。卒業後、都内の外国語専門学校の講師としてベトナム語を教える立場にたった。そのとき教員仲間としてハングルを教えていた張殷善(チャン・ウンソン)さんこそが、のちにエナジックを紹介することになる女性だ(彼女については本誌2月号の「Roadto6A」で紹介している)。
フェンさんはいったん帰国後、2005年に結婚し娘を出産。そして2008年、今度は夫、長女と共に一家三人揃って日本へ。彼女は祖父が経営する旅行会社で働くようになった(夫も別の仕事に従事)。以降、在日ベトナム人として日本で暮らしてきたが、2018年春、先述したとおり、先に販売店になっていた張さんから還元水とエナジックビジネスを紹介されたのだった。
将来はアメリカでも販売店活動を!

フェンさんは試験的に還元水の飲用を開始した。その結果、「健康管理に非常に役立つ」と感じた彼女はレベラックの購入を決めた。さらに教員時代から信頼していた張さんの紹介ということが大きく影響し、ビジネスにも乗り出したのである。在日ベトナム人の親戚や友人らに声を掛けたり、また帰国時には親戚などに還元水とエナジックを紹介したりしてきた。
こうして本業の旅行代理店勤務の傍ら、副業としてエナジックビジネスに従事する生活が続いたが、それを一変させる事態が発生した。「コロナ禍」である。
もっぱら日本〜ベトナム間の旅行代理業をメインにする勤務先は、新型コロナウイルス感染の拡大で3月ごろから、ほぼ「閉店」状態に陥った。何しろ日越両国とも基本的に外国人の「出入国」自体を禁じているのだから、旅行業者が大打撃を受けたのは当然だった。フェンさんは「仕事はほとんどなく、いまは週に1回か2回しか出社していません」と、苦しい状況を説明している。
こうした事態を受けて、フェンさんは本業でダウンした収入を補うように販売店活動に力を入れた。在日ベトナム人を中心に、積極的に展開。叔父とその娘も販売店活動に力を入れるようになるなど、事態は好転し、観光・飲食を中心に多くの企業が苦しんでいた時期だったにもかかわらず、彼女は6月にみごと6Aに到達したのである。

最近では(兄と同様)ボートピープルとしてアメリカへ渡った親戚・知人にもアプローチを開始したという。「コロナ問題が沈静化したらアメリカで販売店活動をおこないたい」とフェンさんは張り切っている。
「6Aに到達できて素直にうれしい気持ちです。これからも還元水の素晴らしさを多くの人たちに伝え、健康で過ごしてほしいと願っています。そうすればビジネス上の結果はついて来ると確信しています」と語ってから、フェンさんは次のように続けた。「今後は仲間の販売店の中からたくさんの6Aが出るようしっかりサポートしていきたい」。フェンさんは「コロナ禍」を吹き飛ばすように元気な言葉で話を締めくくった。
