コロナ禍で旅行代理業は「ゼロ」に!窮状を救ったエナジックビジネス!

竹山哲二エナジックジャパン社長に6A認定証を授与される藤田さん

 ベトナム出身の藤田さんは1995年に日本国籍を取得し、名前もPham Kien(ファム・キエン)から藤田健一に変更した。そのときすでに日本在住期間は25年に及んでいた。

 日本との関わりはいまから50年前にさかのぼる。1970年、彼は南ベトナム共和国(当時)の大学を卒業すると、畜産を中心に農業の勉強をするため東京農大に留学した。75年に卒業。しかしこの年、母国に激烈な変化の嵐が吹き荒れた。南ベトナム共和国が消滅したのである。ベトナム戦争で米軍が敗退した後、北ベトナム軍が南を制圧し全土を統一したのだった。

 これ以降、「ボートピープル」と呼ばれる空前の数の難民が発生した。北ベトナム(ベトナム民主共和国)の政治体制を忌避した人びとが海外へ大量に逃れたのである。行先はアメリカを中心に、オーストラリア、カナダなどさまざまだったが、日本にも約1万人のベトナム難民が上陸し、定住を希望した。

石井グループの仲間に昇格を祝われる

 彼ら彼女らをどう処遇するのか。真っ先に必要とされたのが、日本語とベトナム語を理解する人材だった。そしてその能力を十分に持っていた藤田さんは、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の依頼を受け、難民受け入れ施設で、通訳などベトナム難民の世話を焼く仕事に従事した。

 この仕事を6年間おこなったあと、印刷会社を設立し、難民向けのベトナム語やカンボジア語などによる日本語教科書を中心に、印刷・出版事業を営んでいた。だが、次第に需要が減少する中、ベトナムの経済発展に伴って増えてきた日本への観光客を対象にする旅行代理店(株式会社エーエフジェイ)を2003年に設立し、いまもその経営を続けているのである。

 代理店が扱うのはほとんどが団体旅行。最大130人を一度に受け入れたことがあるというが、訪日した観光客を、通訳を兼ねたガイドが案内役として世話をする、という旅行パターンだ。扱う観光客は年間4,000~4,500人に達し事業は順調だった。それを一変させたのが、いうまでもなく「コロナ禍」だった。

ベトナムでセミナー開催

“開店休業中”の旅行代理店オフィス

 何しろこの3月から11月末まで扱った旅客は「ゼロ」!したがって売り上げもゼロ。この窮状を救ったのがエナジックビジネスだった。藤田さんは「雇用調整助成金などの公的支援もありがたかったが、何といってもエナジック販売店としての収入に助けられました」と語っている。こうして「収入ゼロ」期間内に約50台を出し、ついに6Aに到達したのだった。

 藤田さんは2018年にレベラックを購入し、旅行代理店の仕事と共に販売店活動を展開してきた。訪日&在日ベトナム人に紹介したり、アップラインの販売店と一緒にベトナムを訪問してセミナーをおこなったりしてきた。たとえば、2018年12月には櫻井玖仁さん(6A2)とホーチミン市で地元の商工業者を対象にセミナーを開催し、昨年10月には張殷善さん(6A)とハノイ、ダナン、ホーチミンで連続セミナーをおこなった。

櫻井玖仁さん(右隣)と共にベトナムでセミナーを開催(2018年12月)

 「ベトナムで日本製品はとても信頼され人気があります」(藤田さん)というとおり、販売したレベラックの多くがベトナムで使われているという。そんな努力の積み重ねが6A到達をもたらしたのだ。それだけでなく、現在、ダウンラインには60台以上を出した販売店も2人誕生している。藤田さんにとって、6A2は間近な目標となった。

 旅行代理業には死活的なコロナ禍はしばらく続きそうだ。しかし藤田さんはめげてはいない。「SNS(ソーシャルネットワークサービス)を活用して意欲のあるベトナムの販売店の応援をしたり、日本の知り合いにもっと働きかけたりして、これからも頑張りたい」と意欲満々である。

藤田さん夫妻を囲む子どもと孫と甥たち。子どもたちはみな日本国籍を持つ