わたしは、過去を懐かしむために、誕生日を祝おうとは思いません。今もなお愛して止まない、沖縄の我がふるさと瀬嵩に深く根ざした活動を維持することで、一族の歴史の中に身を置いてきたからです。それでも3月17日に誕生日を迎え、80歳の「若さ」となった時には、誰しもがエナジックと歩めるよう切りひらいてきた道のりに想いを馳せ、過去を振り返りました。
1941年生まれで、6人兄弟の一人だったわたしの幼少期は、恵まれたものではありませんでした。小さな家の立つ畑で、可能な限りのものを作って生きながらえていました。戦中戦後の激動の時代の中、病弱だった父に代わって、母はわたしたち6人をほとんど一人で育てあげました。しかし、家族全員が、生き延びたわけではなく、困難と犠牲が常に伴っていました。
それでもここまでの人生では、同じ瀬嵩生まれの妻の八重子と共に努力を重ね、実現したエナジックでの成功のおかげで、ふるさとに報いることができました。様々な分野の産業で職を生み出し、学校やスポーツプログラムなどを支援。また大切な友人や地元の人々の生活に快適さを提供することで、幸運なことに、沖縄に還元することができたのです。
わたしの中の起業家精神が、還元水やウコンを広めようと、那覇から東京、さらに多くの国々へと、わたしを駆り立てました。しかしどこに行こうと、最後には、わたしの世界の中心である瀬嵩に必ず帰ってきました。妻の八重子の実家も、わたしの育った家から歩いてすぐの場所にあります。わたしたちの親戚の多くが瀬嵩に残っており、わたしたちも彼らと緊密な関係を保っています。
子ども時代を過ごした実家の壁には、母の大きな写真が飾られ、母に経緯を表して、居間は当時のままに保存してあります。唯一、当時と違う点は、壁の色が「エナジックブルー」に塗り替えられていることです。
わたしの家族にとって、そして我が社にとっても、これまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。しかし、優秀な販売店と社員の皆さんのおかげで、危機を乗り越え、今では、素晴らしい環境に恵まれる様になりました。これからまだまだ続くであろう、大切な人たちと過ごす、このふるさとでの将来を想像し、わたしは心踊らせています。