「大城エナジック」の半世紀の物語 <第7回>

〜シグマックからエナジックへ社名変更! 還元水に目覚め電解水生成器の販売を開始〜

ビデオ戦争でVHS方式に敗退したソニーのベータマックス。この敗北は当然、ソニー製品を扱っている多数の販売会社に深刻な打撃を与えた。ソニーの専門商社としてベー タマックスを主力商品にしていた大城の日本シグマックも例外ではな かった。そしてある日。ソ ニーの幹部が大城にこう言った。「大城さん、ビデオはうちの負けだ。これからは8ミリビ デオカメラを売ってくれないか」と。
1980年代半ばごろ、市場ではビデオの撮影録画とデッキ機能を併せ持ったVTR一体 型ビデオカメラが普及し始めていた 。持ち運びが楽な小型でテープの幅が8ミリであることから「 8ミリビデオカメラ」と称されていた。
ソニーはベータマックスの敗北の失地回復にこの8ミリビデオの販売に力を入れようとしていた。しかし大城は戸 惑った。ビデオデッキのベータマックス関連事業として各地にビデオセンターを展開し、TVドラマや映画などの膨大なレンタル用ビデオがストックされている。この巨大な在庫をどうするのか。交渉したものの、残念ながらソニーは引き取ろうとはしなかった。また、これら大量のビデオをすぐ8ミリビデオに転換できるわけがない。結局、大城はこの話を断った。

誘われてNWビジネスに参入 
当然のように日本シグマックの売り上げは右肩下がりに落ち、社員はくしの歯が抜けるように退職していく。追い詰められた大城は決断した。「もう閉じよう」。87年。残った社員十数人と「解散式」をおこなった。登記上は残したままで、日本シグマックは閉鎖状態となり、ソニー専門商社の看板は下ろされたのである。それからは大城にとって試行錯誤、暗中模索の日々が続いた。那覇市内のビデオセンターに併設してあった喫茶ルームを改築しレストラン風のカフェを開き生計を立てた。大城自ら調理場にも立った。ただし、「指図するばかりでしたよ」とは、妻の八重子の弁。
そんなおり、後に8ポイントシステムの第一号販売店になった勝山昭男と出会った。87年12月。引き合わせたのは日本シグマックの元社員だった。後に勝山は「大城のリクルートを1年半断りつづけた男」として、販売店の間ですっかり有名になる。
しかし、当時は逆で、勝山が大城を健康関連器具のネットワークビジ ネスに誘いリクルートに成功したのだ。大城にとってネットワークビジネスは初めて知る業態だった。後にエ ナジックが展開するネットワーク マーケティングは平面フラット方式 で、タテと共にヨコにも伸びていく公平性のあるシステム。 勝山が参加していたビジネス形態 は、これとは異なるものの、大城にとって、新鮮でかつ高収入をもたらすビジネスだった。 だがこれは、製造元がマスコミに 不祥事を叩かれ出荷停止に追い込まれたため間もなく終焉。大城は喫茶店経営のかたわら、別の機会を模索することになった。

還元水の性質・効果に感動!
事業欲旺盛な大城にとって、「喫茶店経営」ではやはり満足できなかったようだ。別の健康器具を扱う事業に乗り出したのだ。ただしこれはネットワークビジネスではな く、仕入れ販売方式だった。80年代後半以降はもっぱらこ の健康器具の販売に注力した。だが沖縄という狭いマーケットで苦戦した。資金面でも苦労し「手形を割り引くのもたいへんだったね」と大城は回顧している。しかしこのころ、大城はついに還元水情報に接することになった。知り合いに誘われて東京のサントリーホールでおこなわれた、還元水をテーマにする医学博士の講演会に参加したのだ。 大城は講演を聞いて、還元水(当時はアルカリイオン水が一般 的な呼称だったが)の性質や効果に強く心揺さぶられた。そして「これこそ健康にとって最善の水」と考え、さっそく電解水生成器を購入。 還元水の飲用を始めた。だがまだ還元水をビジネスにするには至らなかった。転機は90年代に入ってやってきた。ある電解水生成器メーカーと取り引きできることになったのだ。ただし、ネットワークビジネスではなく、普通の卸販売だった。 そして92年。日本テレビの深夜報道番組「今日の出来事」が3回にわたって電解水を「驚異の水」として取り上げた。病院の実際の活用例と共に紹介したため俄然注目を浴び、還元水の一大ブームが巻き起こった。各メーカーは競って参入。一説によると年間20万台程度だった生成器の出荷台数が92年には100万台に達したという。 ちなみに、後にエナジックが商 材にした「レベラックDX」の生産を担った東洋金属も、松下電器産業(現パナソニック)の下請け工場だった92年に医療用電解水生成 器を開発していた(東洋金属は 2001年にエナジックグループ化され現在のエナジックインターナショナル大阪工場に)。

4度目の上京でリベンジを! 
このブームはあまりにセンセー ショナルだったため、国民生活セン ターから効果効能に疑義が呈され、 厚生省(当時)がメーカー側に対し検証を求める事態になった。
メーカーはこれに応え、厚生省認可の機能水研究振興財団を設立し、93年から学界の協力を得て薬事効果の検証をおこなった。そして5年後に「還元水は胃腸症状の改善に有効」との結論を出したが、実はこれ、65年に厚生省が認めた効果を科学 的に裏打ちするものでもあった。 それは厚生省薬務局長名で同年10月8日に各都道府県長宛に通達 された「薬発第763号」のこと。
これにより還元水が「消化不良、胃酸過多、慢性下痢、胃腸内異常発酵、制酸に有効」と承認された。 同時に酸性電解水が収れん作用(アストリンゼン効果)があることも承認された。 こんな歴史をもつ電解水生成器だが、テレビ報道が生んだブームは一気に過ぎ去り、メーカーの過剰生産が明白になった。大城が取り引きしていたメーカーも同様で、結局、96 年に倒産してしまう。 このころ、大城には忘れられない光景がある。那覇市の大手スーパー の店頭で、このメーカーの製品が山積みされ、何と定価の87%引きで売られていたのだ。倒産企業から流れ出る「バッタ商品」だった。大城は同じ商品を定価販売していたため、この“超廉売”に気付いた顧客から当然、クレームがついた。 そして沖縄の自宅や事務所は在庫の山。どう処分したらいいのか分からない。そこから在庫は持たない、という教訓を得た。いずれにしろ、新規巻きなおしの必要があった。「卸販売はもう限界だ。やはりネットワークビジネスで行こう」。大城は休眠状態だった日本シグマックを社名変更して“蘇生”さ せ、新たな業態でビジネスを開始する決意をしたのだ。
新社名はエネルゲン(エネルギー)+グッドラックから付けた日本エナジック(これが97年のことで2年後に「日本」を取った)。こうしてエナジックという社名に決定すると共 に、大城は東京をビジネスの舞台に選んだ。巨大なマーケッである点を考慮したためだが、61年に経理マンとして、69年には会計事務所員として、そして71年に八重子と結婚してから、と、3 回の上京ではいずれも涙をのんで“撤退”した。4度目に当たる今回は、こうした敗 退の過去を乗り越えようとする 意思が働いていたのではないか。大城は「リベンジは東京で」を実践し始めたのである。

E-Friends 2024年3月号より


エナジック50周年記念誌に「半世紀の物語(全10話)」が掲載されています。
各支店またはエナジック オンラインショップ(EOS)からご購入いただけます。
販売価格:¥2,500(税込)