LeveLuk開発史 <第2回>

レベラックDXの原型、登場

大阪工場の電解水生成器・第一号である「ピアパルテ」は、現在の販売台数には比べるべくもないが、実によく売れた。 我々のような新参メーカーに、「今ここで支払うから製品を持ち帰らせてくれ」と、会議室の机に現金を積み上げる流通業者までいた(と聞いた)。市場の需要は完全に既存メーカーの供給量を上回っていた。 幸い大きな故障やクレームなどもなく、気を良くした我々は続けて新製品を開発し、翌93年はピアパルテ2号機の、94~95年には3号機の医療機器製造承認を取得していた。
しかし、しょせんテレビ報道が煽り立てた一過性のブームであり“水バ ブル”だった。「効能に疑問あり」との“逆報道”で、いとも簡単にそれは去った(余談ながら、この時に業界団体が設立され、効能効果が科学的に実証されることとなる)。 そもそも航海術も操船法すら知らぬのに船を作って帆をあげたら、たまたま神風が吹いて思いのほか進んでしまった、というだけのことである。風が止めばそれまでだった、ほとんど、いや全く売れない。資金的にも厳しい状況になっていたが、新たな製品開発に賭けることになった。
状況を打開するには斬新な新製品が必要だとして、大きく2つの開発課題が与えられた。その一つは電極板をそれまでの3枚から5枚にすること。もう一つは強酸性電解水の生成機能を持たせることだった。 私は当初から主に電気系を担当していたが、構造設計は戸瀬義久氏(現・大阪工場開発課技師) が担当していた。電極板を5枚にするには、電解槽の構造を根本から大きく変える必要があり、戸瀬氏の才能ともいうべき発想がいかんなく発揮された。その構造や設計思想は現在のレベラックシリーズにも踏襲されている。
難しかったのは、強酸性電解水の生成である。それには塩水を電気分解しなければならないが、ポンプの搭載は予算に合わないので、機械の中で 流れている水にうまく塩を溶かして塩水にするほかない。ご存知の通り、塩はとても溶けやすい物質であり、流水中にさらすとあっという間に、それこそ溶けて無くなるのである。これを強酸性電解水生成中の数分の間ゆっくり溶かさねばならない、難問である。
これにはさすがの戸瀬氏も難儀したが、答えを出した。水の流れを途中で2つに分け、少量の水流で塩を少しずつ溶かすという構造で、高い性能 を発揮した。 しかし、昔の家電製品には時折みられたように、使い方にコツがあって安定性を欠くようなところもあり、これを改善すべく流路や穴径の調整など試行錯誤、悪戦苦闘の連続であった。かくして1998年頃に新製品は完成し、資金難から既存製品の部品を改造するなどして生産が始まった。その後いくつもの進化を経て、後にLeve LukDXとなるベースモデルが誕生するのである。

(株)エナジックインターナショナル
専務取締役 リサーチセンター長 奥村一彦

E-Friends 2023年9月号より