SD501発売までの奮闘記
2000年に正式発売されたLeveLukDXは売れに売れた。写真週刊誌で紹介されるほど、エナジックの説明会は世間の耳目を集めていた。その分、工場では生産に追われる日々。注文は当日出荷が大原則であり、製品が足りるかどうか、 勝負の毎日であった。製造等、社内のことは残業などすれば何とかなるが、問題は部品調達であり、仕入れ業者と納期交渉に明け暮れていた。一部業者の担当者などは、私の顔を見るなり「無理!」と逃げ出すありさまだった。
大阪工場が内外装に大きく手を入れ最新設備も導入し、Super501やANESPAも発売された2003年は、Enagic USAが設立され海外進出が始まった“エナジックグローバル元年”である。とはいえ米国での販売が軌道に乗るにはまだしばらく時間がかかり、国内販売も年間4~5万台の頃のこと。この海外進出はエナジックを大きく飛躍させるきっかけとなったが、当時のことについて後に大城博成会長に尋ねたことがある。
すると、「沖縄から東京へ進出する前から、アメリカ進出は計画していた」とおっしゃった。これにはたいへん驚いた。DXの生産に追われていたある日、大城社長(当時、現会長)から、電極板を7枚とし、電解促進液のタンクとポンプを搭載したDXの上位機種を開発するように指示があった。また、ほぼ同じタイミングで池田正浩専務(故人)が大阪工場へお越しになり「これからの機械はしゃべれないとだめだよ」とおっしゃった。これが、後のLeveLukシリーズに受け継がれる音声案内の始まりである。
新製品に課せられたいくつかの開発課題の中で、最も悩まされたのはこの音声案内であった。スピーカーを濡らすとすぐに不具合となるが、防水に気を取られ過ぎると音声が聞こえない。当時は初めてのことで、取付位置や方法などで苦心した。そして、肝心の音声である。今でこそAIなど合成音声は自然に聞こえるようになったが、20年前はまだまだ“機械的な声”で陳腐なものだった。LeveLukにとってその声はどうあるべきか悩んだ 末 、人の声を使うことにした我々は、録音すべきセリフを決め、ツテをたどってプロのナレーターにお願いしスタジオも手配、これをデータ化して初の音声案内を完成させた。
こうして我々はSD501を開発したのだが、最大の山場はこの後に訪れた。試作や性能確認なども完了し、生産を始めようとしたが、電源ユニットが思うように入手できない。何度も業者へ足を運び督促したが、なかなか改善されない。順調に注文は増えてくるが、部品供給がネックとなって生産数が思うように増やせない。
これには閉口した。あちこち旧知の業者を駆けずり回って、最終的には手配先を変えたり、また複 数にしたりして、何とか生産数を確保した。これが20年ほど前のことである、こうしてエナジック創立30周年の2004年9月、SD501は発売されたのだった。

(株)エナジックインターナショナル
専務取締役 リサーチセンター長 奥村一彦